| シャルード 芦毛 1983.4.15 種付け時活性値:1.50 | Caro 芦毛 1967 | フォルティノ 芦毛 1959.4.19 | Grey Sovereign 1948 | 
| Ranavalo 1954 | |||
| Chambord 栗毛 1955 | Chamossaire 1942 | ||
| Life Hill 1940 | |||
| Angel Island 黒鹿毛 1976 | Cougar 黒鹿毛 1966 | Tale of Two Cities 1951 | |
| Cindy Lou 1955 | |||
| Who's to know 黒鹿毛 1970 | Fleet Nasrullah 1955 | ||
| Masked Lady 1964 | |||
| パシフィカス 鹿毛 1981.5.29 仔受胎時活性値:2.00 | Northern Dancer 鹿毛 1961.5.27 種付け時活性値:0.75 | Nearctic 黒鹿毛 1954.2.11 | Nearco 1935.1.24 | 
| Lady Angela 1944 | |||
| Natalma 鹿毛 1957.3.26 | Native Dancer 1950.3.27 | ||
| Almahmoud 1947 | |||
| Pacific Princess 鹿毛 1973 仔受胎時活性値:1.75 | ★Damascus 鹿毛 1964.4.14 種付け時活性値:0.00 | Sword Dancer 1956.4.24 | |
| Kerela 1958 | |||
| Fiji 栗毛 1960 仔受胎時活性値:1.00 | Acropolis 栗毛 1952 種付け時活性値:1.75 | ||
| Rififi 栗毛 1954 仔受胎時活性値:1.25 | 
| 父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 | 
|---|---|---|---|
| シャルード (フォルティノ系) | Northern Dancer (Nearctic系) | Damascus (Teddy系) | Acropolis (Blandford系) | 
| 父の活性値 | 母父の活性値 | 祖母父の活性値 | 曾祖母父の活性値 | 
| 1.50 (6歳時交配) | 0.75 (19歳時交配) | 0.00 (8歳時交配) | 1.75 (7歳時交配) | 
| 父の分枝状況 | 母父の分枝状況 | 祖母父の分枝状況 | 曾祖母父の分枝状況 | 
| Nearcoの5代孫 | Nearcoの孫 | Bend Orの10代孫 | Birdcatcherの10代孫 | 
| 8代残牡先祖数 | 4代血統構成 (資質固定指数) | 潜在能力値 | 少ない先祖etc | 
|---|---|---|---|
| 8/128 | A  ★A●  ★G  F (0.33) | 2.64 | シャルード Acropolis | 
| 形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 何番仔? | 
| Acropolis (パシフィカス) | 6.00 | 半弟ナリタブライアン (No.13-A) | 4番仔 (3連産目) | 
潜在能力値は数値が少ないほど大きいことを示しています。
「今日も涼しい顔をしたまま(by 関西TV 杉本清アナ)」で、楽々と勝った『白面の王者』ビワハヤヒデ。弟ナリタブライアンの日本ダービー制覇を受けて、兄貴は日本レコードで宝塚記念を勝ち、GI3勝目となりました。1994年前期の2000m以上の牡牝混合GIを、2頭で全部かっさらって行ったことになります。鞍上は『名手』岡部幸雄騎手、所属は栗東・濱田光正厩舎。レースの2着には「アイルトンセナ、いや、アイルトンシンボリ(再び by 関西TV 杉本清アナ)」のアイルトンシンボリ、3着にダンシングサーパスでした。
ビワハヤヒデの牝系については、日本ダービーのナリタブライアンを参照してください。ぅんもう、2頭で合計8つもGIを勝つから、書くネタが無くて困っとりますねん(苦笑)。
近年稀に見る「安定型名馬」だったビワハヤヒデですが、夏場休養後のオールカマーを勝ち、「さぁ、関東のGI!」と意気込んで臨んだ天皇賞・秋で屈腱炎発症、そのまま引退となってしまいました。一生懸命に、ひたむきに走るゆえに、起こってしまった故障だったのでしょうか。ビワハヤヒデは、覆面を外した3歳秋の神戸新聞杯あたりから、走法が変わってきていました。首の使い方が上手になっていました。大きな−と言っては失礼ですが−そのお顔を、地面にくっつけるぐらいの勢いを持って、首をグーンと使う走り方になっていました。ああいう走り方を見せられると「あぁ、ハヤヒデは走ることが好きで好きでたまらんのかしらん」と思ったものでした。頑張り屋さんが頑張りすぎると、壊れてしまう時もあるのですね……。
3歳秋に1400mのデイリー杯3歳Sをレコード勝ちし、3歳暮れから3歳初めに惜敗を続けた時は「早熟のマイラー」と言われたこともありました。直線で追い出すと、やや反応が鈍くなるという弱点もありました。けれど、ビワハヤヒデは、自身の内に秘めたる「才能」を、濱田光正調教師、岡部幸雄騎手、荷方末盛厩務員のそれぞれの「愛」に応える形で具現化していきました。オールマイティーな強さと速さを持った『最強の兄貴』というのが、彼の本当の姿でした。真の名馬でしたよ、ビワハヤヒデ。