中島理論で見るGIレースの勝ち馬(1997年編)

キョウエイマーチ
  • 鹿毛
  • 1994.4.19生
  • 門別・インターナショナル牧場生産
  • 馬主・松岡正雄氏
  • 栗東・野村彰彦厩舎
キョウエイマーチの4代血統表
ダンシングブレーヴ
鹿毛 1983.5.11
種付け時活性値:0.50
Lyphard
鹿毛 1969
Northern Dancer
鹿毛 1961.5.27
Nearctic 1954.2.11
Natalma 1957.3.26
Goofed
栗毛 1960.3.29
Court Martial 1942
Barra 1950
Navajo Princess
鹿毛 1974.3.31
Drone
芦毛 1966
Sir Gaylord 1959
Cap and Bells 1958
Olmec
栗毛 1966
Pago Pago 1960
Chocolate Beau 1958
インターシャルマン
鹿毛 1987.3.12
仔受胎時活性値:1.50
<中央4勝>
ブレイヴェストローマン
鹿毛 1972.5.19
種付け時活性値:1.50
Never Bend
鹿毛 1960.3.15
Nasrullah 1940.3.2
Lalun 1952
Roman Song
鹿毛 1955
Roman 1937
Quiz Song 1948
トキノシュリリー
栗毛 1978.4.21
仔受胎時活性値:2.00(0.00)
<不出走>
スティンティノ
鹿毛 1967
種付け時活性値:0.50
Sheshoon 1956
Cynara 1958
トミニシキ
栗毛 1967.2.21
仔受胎時活性値:0.50
<不出走>
★ユアハイネス
栗毛 1958
種付け時活性値:0.00
スズキナルビー
栗毛 1960.4.15
仔受胎時活性値:1.50
<中央4勝(平地2勝+障害2勝)>
キョウエイマーチの4代血統構成&4代父系の活性値&4代父系の分枝状況
母父 祖母父 曾祖母父
ダンシングブレーヴ
(Northern Dancer系)
ブレイヴェストローマン
(Never Bend系)
スティンティノ
(Hurry On系)
ユアハイネス
(Hurry On系)
父の活性値 母父の活性値 祖母父の活性値 曾祖母父の活性値
0.50
(10歳時交配)
1.50
(14歳時交配)
0.50
(10歳時交配)
0.00
(8歳時交配)
父の分枝状況 母父の分枝状況 祖母父の分枝状況 曾祖母父の分枝状況
Nearcoの4代孫 Nearcoの3代孫 Hurry Onの3代孫 Hurry Onの3代孫
キョウエイマーチのB&B理論的総括
8代残牡先祖数 4代血統構成
(資質固定指数)
潜在能力値 少ない先祖etc
26/128 A  A  D  D
(0.66)
17.16 スティンティノ
ユアハイネス
形相の遺伝 料の遺伝 牝系 何番仔?
ブレイヴェストローマン
(Quiz Song)
5.50 or 3.50 シュリリー系
(No.7-D)
2番仔
(2連産目)

潜在能力値は数値が少ないほど大きいことを示しています。

[Notes]

『雨も大外枠も関係なく』キョウエイマーチ。

数多の名牝たちを生み出していった仁川の桜の舞台。クラシック第1弾となる桜花賞(GI)も、馬齢を重ねて57回目を迎えました。1997年の桜花賞戦線は、前年の阪神3歳牝馬S(GI)を制した『ライアンの娘』メジロドーベル(1994.5.6)が、圧倒的な人気を集めるはずでした。しかし、前走となったチューリップ賞(GIII)で、レースの道中に口を割ってしまい、「折り合いを欠く」という難しい一面を見せてしまいました。その結果3着と敗れ、桜花賞戦線にちょっとした暗雲が立ち込めました。そんな時に現れたのが、キョウエイマーチでした。キラ星の如く現れたダンシングブレーヴの娘は、前走となった報知杯4歳牝馬特別(GII)を、7馬身差で圧勝してきました。阪神3歳牝馬Sでメジロドーベルと好勝負したシーズプリンセス(1994.4.1)を問題にしなかったのですから、人心は、当然のようにそちらへ流れて行きました。桜花賞当日の単勝はキョウエイマーチが1番人気(2.6倍)、メジロドーベルが2番人気(3.4倍)、大きく離れた3番人気がシーズプリンセス、以下オレンジピール(1994.3.15)、フミノパラダイス(1994.4.8)、プロモーション(1994.3.30)と続きました。

あいにくの雨模様、不良馬場となった第57回桜花賞。大外8枠18番となった1番人気馬は、悠然と、1番最後にゲートに収まりました。スタート。1枠2番のミニスカート(1994.5.16)が好スタートを決める中、キョウエイマーチはそこそこのスタート、メジロドーベルもまずまずという感じでゲートを出ました。上村洋行騎手に操られたミニスカートは敢然とハナに立ち、大外から被せるようにしてキョウエイマーチが競りかけて行きました。先に行きたがるキョウエイマーチを必死になだめようと、松永幹夫騎手は引き加減に手綱を絞られていました−いつも思うのですが、ミッキーの引き加減の手綱は、周りを幻惑させるためのポーズなのでしょうか?−。対するメジロドーベルはスタート直後に後ろへ下げ、2コーナーでは最後方でした。レースは、最後方のワンダーステラ(1994.3.31)を除く17頭が、比較的馬群を詰めたままの状態で流れていき、半マイルを46秒9で通過。その頃にはキョウエイマーチの折り合いもつき、気分よく2番手を走っていました。3コーナーから4コーナー。馬群ひと塊の後方、10番手の位置にいたメジロドーベルが徐々に進出を開始して、外から順位を上げて行きました。直線入り口。最内を駆けるミニスカートの手応えはまだ残っている状態で、その外からキョウエイマーチが並びかけました。メジロドーベルも5番手位置まで押し上げていました。直線の坂に差しかかり、先に行くミニスカートの手応えが怪しくなったところで、キョウエイマーチにムチが入りました。不良馬場をものともしない、前脚を鋭くかき込む走法で、あっという間に後方にいる馬たちとの差をつけました。メジロドーベルも必死に伸びましたが、前に追いつくほどの脚色ではありません。キョウエイマーチ、ラチ沿いを一人旅。雨中の桜決戦、雨も大外枠も関係なく、キョウエイマーチ。2着のメジロドーベルに4馬身の差をつけて、見事に桜の女王の栄冠を手に入れました。レースの勝ち時計は1分36秒9、上がりの3ハロンが37秒7という結末でした。なお、レースの3着にはホーネットピアス(1994.5.20)、4着にはワンダーステラ、5着にはオレンジピールが入りました。

キョウエイマーチの鞍上は松永幹夫騎手。前年の第1回秋華賞(GI)に続く牝馬GIの制覇となりました。また、1991年の桜花賞において1番人気だったイソノルーブル(1988.3.13)で5着に敗れた借りを、ここで返されたことになります。合わせて、この桜花賞初制覇により、3歳牝馬限定GIを全て手中に収められました。キョウエイマーチを管理されたのは栗東所属の野村彰彦調教師。これが初のGI制覇でした。オーナーは松岡正雄氏。インターグロリア(1974.5.1)による第37回桜花賞以来、20年ぶりの桜花賞優勝でした。生産は北海道門別町のインターナショナル牧場。生産馬によるGI制覇は初めてのことでした。


キョウエイマーチの最優性先祖は母父ブレイヴェストローマン、形相の対象はQuiz Songと判断しました。ブレイヴェストローマンは、現役時代米国で25戦9勝。その主な勝ち鞍にはサラナクS(GII、ダ8F)があります。種牡馬としての代表産駒には、ニ冠牝馬マックスビューティ(1984.5.3)、オークス(GI)馬トウカイローマン(1981.5.19)、桜花賞(GI)馬オグリローマン(1991.5.20)、加オークス(GI)の勝ち馬First Summer Day(1980)、帝王賞(現統一GI)馬オサイチブレベスト(1984)、高松宮杯(旧GII)と日経新春杯(GII)を制したランドヒリュウ(1982.4.12)、東海菊花賞馬グレートローマン(1981)、東京盃(統一GII)2連覇のカガヤキローマン(1993.4.20)、1994年の最優秀ダート馬フジノマッケンオー(1991.3.11)、1993年の最優秀ダート馬メイショウホムラ(1988.2.17)、小倉3歳S(GIII)の勝ち馬マルカアイリス(1990.4.11)、金杯(現中山金杯、GIII)を勝ったトチノニシキ(1982.4.6)、フェブラリーH(当時GIII)を勝ったローマンプリンス(1981.5.29)など重賞勝ち馬を多数輩出しました。また、代表産駒を見れば分かるように、名うてのダートサイアーとして知られており、1991年から1994年まで4年連続でダートリーディングサイアーに輝きました。

キョウエイマーチの牝系は、7号族シュリリー(1925)系。同牝馬は歌手・小沢健一さんの母父としても有名な下河辺孫一氏が、1930年に豪州より輸入されました。キョウエイマーチの5代母となるクインナルビー(1949)は天皇賞・秋の勝ち馬です。「ナルビー」の響きが出てくると、思い出される馬がいますね。そう、クインナルビーの分枝からは『平成のアイドル』オグリキャップ(1985.3.27)、前出の桜花賞馬オグリローマンが輩出されています。キョウエイマーチ自身の近親には、大井の東京オリンピック記念を勝ったインターヒリュウ(1971.3.11)がいるくらいです。地味に継承されてきた牝系から、久しぶりに出た活躍馬がキョウエイマーチでした。


キョウエイマーチは桜花賞の後も活躍を続けました。オークスこそ大敗してしまいましましたが、一夏を越えた後のローズS(GII)1着、秋華賞2着、マイルCS(GI)2着と頑張り、3歳の強い牝馬の一角として、一線級を相手に伍して戦いました。また、消長の激しい牝馬なのに長く現役を続けて、5歳春には阪急杯(GIII)制覇、6歳最初の京都金杯(GIII)を1分33秒4の快時計勝ちしました。私は京都金杯をTVで観戦していたのですが、直線後続を置き去りにしたスピードを見て、あ然としてしまいました。2着のアドマイヤカイザー(1996.5.9)を5馬身ちぎっていました。「格が違うというのは、こういうことなのか」と思いました。結局、その京都金杯が最後の勝利となったのですが、「速さ」と「タフさ」が印象に残る馬でした。1200mから2000mまでの重賞を合計で5勝。ホントの名牝でしたよ、キョウエイマーチ。

[主な戦績]

1着−桜花賞(GI) ローズS(GII) 報知杯4歳牝馬特別(GII) 京都金杯(GIII) 阪急杯(GIII)
2着−秋華賞(GI) マイルCS(GI) 南部杯(統一GI) マイラーズC(GII)
3着−マイラーズC(GII) 黒船賞(統一GIII)
通算28戦8勝、2着4回、3着3回(中央、地方合わせて)。

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