中島理論で見るGIレースの勝ち馬(1996年編)

(父)メジロドーベル
  • 鹿毛
  • 1994.5.6生
  • 伊達・メジロ牧場生産
  • 馬主・メジロ商事(株)
  • 美浦・大久保洋吉厩舎
メジロドーベルの4代血統表
メジロライアン
鹿毛 1987.4.11
種付け時活性値:1.50
アンバーシャダイ
鹿毛 1977.3.10
ノーザンテースト
栗毛 1971.3.15
Northern Dancer 1961.5.27
Lady Victoria 1962.2.20
クリアアンバー
黒鹿毛 1967.5.8
★Ambiopoise 1958
One Clear Call 1960
メジロチェイサー
鹿毛 1977.3.2
メジロサンマン
鹿毛 1963.3.26
Charlottesville 1957
パラディシア 1957
シェリル
鹿毛 1971.5.15
スノッブ 1959
Chanel 1961
メジロビューティー
鹿毛 1982.3.5
仔受胎時活性値:0.75
<中央2勝。スイートピー賞(現OP)勝ち>
[母の4番仔]
パーソロン
鹿毛 1960
種付け時活性値:1.25
Milesian
鹿毛 1953
My Babu 1945
Oatflake 1942
Paleo
鹿毛 1953
★Pharis 1936
Calonice 1940
メジロナガサキ
栗毛 1971.3.20
仔受胎時活性値:0.50
<中央7勝。オールカマー(現GII)3着>
[母の4番仔]
ネヴァービート
栃栗毛 1960
種付け時活性値:0.50
★Never Say Die 1951
Bride Elect 1952
メジロボサツ
栗毛 1963.5.12
仔受胎時活性値:1.75
<中央9勝。朝日杯3歳S(現GI)勝ち>
モンタヴァル
鹿毛 1953.1.28
種付け時活性値:0.25
メジロクイン
鹿毛 1957.5.20
仔受胎時活性値:1.25
メジロドーベルの4代血統構成&4代父系の活性値&4代父系の分枝状況
母父 祖母父 曾祖母父
メジロライアン
(Northern Dancer系)
パーソロン
(Tourbillon系)
ネヴァービート
(Nasrullah系)
モンタヴァル
(Blandford系)
父の活性値 母父の活性値 祖母父の活性値 曾祖母父の活性値
1.50
(6歳時交配)
1.25
(21歳時交配)
0.50
(10歳時交配)
0.25
(9歳時交配)
父の分枝状況 母父の分枝状況 祖母父の分枝状況 曾祖母父の分枝状況
Nearcoの5代孫 Herod〜Tourbillon系 Nearcoの3代孫 Birdcatcherの10代孫
メジロドーベルのB&B理論的総括
8代残牡先祖数 4代血統構成
(資質固定指数)
潜在能力値 少ない先祖etc
11/128 A  E  A  F
(0.50)
5.50 父初年度産駒
モンタヴァル
形相の遺伝 料の遺伝 牝系 何番仔?
メジロライアン 4.25 デヴォーニア系
(No.10-D)
6番仔
(3連産目)

潜在能力値は数値が少ないほど大きいことを示しています。

[Notes]

『ライアンの娘』メジロドーベル。旧阪神3歳Sから通算では48回目、2歳牝馬王者決定戦になってからでは6回目となった阪神3歳牝馬S−レース名は当時のまま−。ここは、前走のデイリー杯3歳Sを圧勝した武豊騎手のシーキングザパール(1994.4.16)が圧倒的な1番人気を集めました。それに続く2番人気が『東の豊』こと吉田豊騎手のメジロドーベル、3番人気が四位洋文騎手の『四位のお姫様』シーズプリンセス(1994.4.1)でした。

レースは、河内洋騎手のスーパードレス(1994.4.1)のスタートダッシュから始まりました。出脚良く逃げたマル外牝馬は、前半から飛ばして行きました。最初の1ハロンこそ12秒5のラップでしたが、その後3ハロンを10秒8、10秒8、11秒6と駆けて、前半4ハロンの通過タイムが45秒7。明け3歳の桜花賞に勝るとも劣らない快時計でレースが流れて行きました。有力馬の位置取りは、シーキングザパールは前を見ながら3番手、メジロドーベルは5番手集団の真ん中、シーズプリンセスはほぼ最後方位置でじっと構えていました。

3コーナーから4コーナー。馬群が縮まりつつあるところを、メジロドーベルが手応え良く進出して3番手の外側につけました。メジロドーベルの内側にいたシーキングザパールは、最内を通りながらもあまり反応が良くない様子。シーズプリンセスは外外を回りながら差を詰めて行きました。直線。必死の逃げ込みを図るスーパードレスの外を、思うように伸びないシーキングザパールを尻目に、『ライアンの娘』が豪脚を発揮して一筋に伸びました。師走の凛とした空気を切り裂いて、メジロドーベルが力強くゴールまで駆け抜けました。1頭だけ違う競馬でした。シーズプリンセスが追い込んだものの2馬身差届かず2着、スーパードレスが粘り腰で3着、シーキングザパールは阪神が合わなかったのか4着に終わりました。レースの勝ち時計は1分34秒6。2年前に『レコード娘』ヤマニンパラダイス(1992.4.25)が打ち立てた1分34秒7を0秒1破るレコードタイムでした。

メジロドーベル鞍上の吉田豊騎手、管理された大久保洋吉調教師ともにGI初制覇となりました。吉田騎手は重賞初制覇がGIとなり、大久保師は阪神3歳牝馬S当日−1996年12月1日−が開業20年目の節目の日でした。オーナーはメジロ商事(株)、生産はメジロ牧場。メジロにとっても、1993年のメジロマックイーン(1987.4.3)の宝塚記念以来3年ぶりとなるGI制覇でした。


メジロドーベル出生時のお話は、皆様もよくご存知のことと思います。当時の『優駿』の記事を振り返りましたら、以下のように書いてありました。

ドーベルの1歳上にサンデーサイレンスの仔がいたが、生まれてすぐにひどい黄疸が出た。そしてその仔がたび重なる輸血の結果、感染症を併発して命を落とすに及んで、メジロビューティの血液は、検査に出されることになった。その結果分かったことは、少し深刻だったのだ。ビューティの血液型と適合するのは、日本の種牡馬の約22%だけ―、しかしその時点ですでに、ビューティはライアンの種(ドーベル)を宿していたのである。そしてライアンは、「22%」の中には含まれていなかった……。

−『優駿』、1997年2月号、P39の記事より抜粋。−

お父さんとお母さんの血液の相性が悪く、ドーベルは実の母から初乳をもらうことがままなりませんでした。母の初乳を飲むと、ヘタをすると貧血で死んでしまうかもしれなかったそうです。しかしご存知の通り、馬は初乳を飲んで、初めて免疫力をつけることができます。ドーベルは、片目の見えない乳母メジロローラント(1980)−阪神3歳S3着馬メジロゴスホーク(1984)の半姉−から、初乳をもらった馬でした。

生まれる前から「ハンデ戦」だったメジロドーベル。しかしながら、彼女の身には再び災難が降りかかるのです……。そのお話は、次にドーベルがGIを勝った時の[Notes]で書きましょう。

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