中島理論で見るGIレースの勝ち馬(1997年編)

サニーブライアン
  • 鹿毛
  • 1994.4.23生
  • 浦河・村下ファーム生産
  • 馬主・宮崎守保氏
  • 美浦・中尾銑治厩舎
サニーブライアンの4代血統表

ブライアンズタイム
黒鹿毛 1985.5.28
種付け時活性値:0.00
Roberto
鹿毛 1969.3.16
Hail to Reason
黒鹿毛 1958.4.18
Turn-to 1951
Nothirdchance 1948
Bramalea
黒鹿毛 1959.4.12
Nashua 1952.4.14
Rarelea 1949
Kelley's Day
鹿毛 1977.5.11
Graustark
栗毛 1963.4.7
Ribot 1952.2.27
Flower Bowl 1952
Golden Trail
黒鹿毛 1958.3.5
Hasty Road 1951
Sunny Vale 1946
サニースイフト
鹿毛 1988.4.27
仔受胎時活性値:1.25
<中央4勝>
スイフトスワロー
鹿毛 1977.2.16
種付け時活性値:0.50
Northern Dancer
鹿毛 1961.5.27
Nearctic 1954.2.11
Natalma 1957.3.26
Homeward Bound
栗毛 1961
Alycidon 1945.3.15
Sabie River 1949
サニーロマン
鹿毛 1974.4.9
仔受胎時活性値:1.25
<地方6勝>
ファバージ
鹿毛 1961.4.19
種付け時活性値:1.00
Princely Gift 1951
Spring Offensive 1943
ファイナルクイン
鹿毛 1958.4.15
仔受胎時活性値:1.75
<中央3勝>
ファイナルスコア
鹿毛 1950
種付け時活性値:1.75
ツキカワ
鹿毛 1948.4.4
仔受胎時活性値:0.25
<中央14勝。第11代桜花賞馬>
サニーブライアンの4代血統構成&4代父系の活性値&4代父系の分枝状況
母父 祖母父 曾祖母父
ブライアンズタイム
(Hail to Reason系)
スイフトスワロー
(Northern Dancer系)
ファバージ
(Princely Gift系)
ファイナルスコア
(Tracery系)
父の活性値 母父の活性値 祖母父の活性値 曾祖母父の活性値
0.00
(8歳時交配)
0.50
(10歳時交配)
1.00
(12歳時交配)
1.75
(7歳時交配)
父の分枝状況 母父の分枝状況 祖母父の分枝状況 曾祖母父の分枝状況
Nearcoの5代孫 Nearcoの3代孫 Nearcoの3代孫 Stockwllの8代孫
サニーブライアンのB&B理論的総括
8代残牡先祖数 4代血統構成
(資質固定指数)
潜在能力値 少ない先祖etc
11/128 A  A  A  z
(0.66)
7.26 ファイナルスコア
形相の遺伝 料の遺伝 牝系 何番仔?
ファイナルスコア
(Baroness La Fleche)
4.50 星谷系
(No.1-L)
初仔

潜在能力値は数値が少ないほど大きいことを示しています。

[Notes]

『十八番(おはこ)は逃走』サニーブライアン。

1997年の牡馬クラシック戦線は、父内国産馬の星が期待を集めていました。その馬の名は、『ライアンの息子』メジロブライト(1994.4.19)。函館の芝1800mの2歳デビュー戦を6頭立て6番人気で臨み見事に1着。その走破タイム2分1秒6が「2000mのタイムみたいだなぁ」と揶揄されました。しかし、メジロブライトは自身の走りを持ってして、風評を打破して行きました。2戦目のすずらん賞(OP)は2番人気で臨み2着、3戦目のデイリー杯3歳S(GII)は7番人気で2着。このデイリー杯3歳Sの好走を持って、人々は、ようやくメジロブライトの能力が一級品であることに気付きました。その次走となったラジオたんぱ杯3歳S(GIII)では2番人気となり、評判馬のブレーブテンダー(1994.4.16)、テイエムトップダン(1994.4.16)を打ち破り、見事に重賞制覇を果たしました。明けて3歳の初戦、共同通信杯4歳S(GIII)では初めて1番人気に押され、その期待に1着で応えました。共同通信杯4歳Sまで5戦3勝、2着2回。100%連対の成績を持ってして、メジロブライトはその次走にスプリングS(GII)を選びました。もちろん、圧倒的な支持を得ました。しかし、1勝馬だったビッグサンデー(1994.5.5)に先行粘り切りを許してしまいました。2着を確保したものの、皐月賞が行われる中山競馬場に対して、一抹の不安を生じたのも事実でした。

そんな表街道をメジロブライトがひた走る中、ひっそりと走り続ける馬がいました。サニーブライアン。美浦では異彩を放つ関西出身の中尾銑治調教師−中尾謙太郎調教師の実弟であり、中尾正調教師の実兄−が送り出した、ブライアンズタイム産駒の鹿毛馬でした。2歳デビュー戦となった府中の芝1800m戦を3番人気で臨み1着。メジロブライトとは対照的に、デビュー当初から期待されていました。しかし、以後のレースでは人気を集めるものの、なかなかにもどかしいレースが続きました。2戦目の百日草特別(500万)を2番人気で5着、3戦目の府中3歳S(GIII)を2番人気で7着、4戦目のひいらぎ賞(500万)を3番人気で5着……。2戦目以降、2歳戦でもどかしいレースを続けたのには、理由がありました。サニーブライアンは、レース当日になると決まって「下痢」を起こしていたそうです。「これから走らなければならない」。幼い彼にとっては、仲間との「かけっこ」が怖いものだったようです。しかし、年が明けると体調が整うようになりました。3歳初戦の若竹賞(500万)を4番人気で2着すると、その次走のジュニアC(OP)を4番人気で逃げ切りました。一躍オープン馬となったサニーブライアンでしたが、この後、再びもどかしいレースをすることになりました。逃げられない。一線級とぶつかった弥生賞(GII)は5番人気で3着と健闘しましたが、1番人気を集めた若葉S(OP)では4着に敗れてしまいました。

そうして迎えた第57回皐月賞。晴の良馬場で行われることになったこのレース。1番人気はやはりメジロブライト。2番人気は前走の弥生賞を5馬身差で圧勝した『ランニングフリーの息子』ランニングゲイル(1994.3.2)、3番人気はその素質が高く評価されていたヒダカブライアン(1994.4.5)、以降オースミサンデー(1994.4.25)、エアガッツ(1994.4.7)、テイエムトップダンと続きました。サニーブライアンは……、11番人気でした。

スタート。1完歩目に難があるサニーブライアン。しかし、この皐月賞では大外8枠18番を引いたこともあり、他馬に被されることなく、先頭に立ちました。サニーブライアンが切れ込み加減に内へ進路を取っている時、メジロブライトは最後方に位置していました。他の人気馬たちもメジロブライトに合わせるように、後方集団の中を進んでいました。人々が後方の人気馬たちを追いかけた後、先頭に目をやると、いつの間にかテイエムキングオー(1994.4.1)が先頭に立っていました。掛かって行ってしまったのです。サニーブライアンは、2番手追走の形になりました。先頭を行くテイエムキングオーの作り出したペースは、田島裕和騎手が懸命になだめた結果、平均からスローまで落ちました。1000mの通過が1分1秒フラットであることからも、それは分かります。動きがあったのは1100mを過ぎたところでした。サニーブライアンがテイエムキングオーを交わして行ったのです。前半掛かってしまったテイエムキングオーはそれについて行けず、あえなく失速。サニーブライアンは、大西直宏騎手の長手綱に操られて、気分良くハナに立ちました。3角から4角。後ろの馬群が縮まる中で、サニーブライアンは一人旅の形になっていました。

そして、4角。ここが、このレースのポイントでした。サニーブライアンは「コーナーワークで他馬との差をつけることができる馬」でした。見れば、後続馬群との差が3馬身から4馬身ほど開いていました。ラップを振り返れば、1600mから1800mまでの1ハロンが11秒6。これは、このレースの最速ラップでした。中山の直線は310mですから、やはりコーナーでスピードアップしていたのです。直線。人気薄馬のセーフティリードに、場内の歓声がひときわ大きくなりました。先頭を走るサニーブライアンの脚色は衰えを見せません。馬群後方にいる馬たちは、中山の荒れ馬場に脚を取られて、もがくようにしていました。メジロブライトも大外から突っ込んできましたが、前には届きそうにありません。前方集団の内ラチ側にいた馬たちの脚色が比較的良く、内側から12番人気のフジヤマビザン(1994.5.5)、10番人気のシルクライトニング(1994.4.15)、9番人気のセイリューオー(1994.4.13)の3頭が、前との差を詰めました。その3頭の中でも、脚勢が目立ったのはシルクライトニングでした。前走の若葉Sでサニーブライアンに勝った馬は、グングンと伸びました。決勝点直前。サニーブライアン、さすがにヘタったのか脚が上がり、あっという間に差は縮まりました。しかし、「シルクライトニングが差し切るのか!?」と思ったところがゴールでした。わずかに桃色の帽子が粘り切ったことは、ハッキリと分かりました。サニーブライアンと大西直宏騎手、見事な逃走劇。やはり、サニーブライアンの十八番は、逃げの形にあったのです。レースの勝ち時計は2分2秒0、上がりの3ハロンは36秒5という結末でした。

前週の第57回桜花賞に続き「道中2番手を進んだ8枠18番馬」のクラシックレース優勝となりました。しかし桜花賞が1、2番人気の1着2着だったのに対して、こちらは大波乱でした。11番人気が1着、10番人気が2着。馬連配当は51790円。日本の中央クラシックレース史上、最高の配当でした。なお、レースの3着にはフジヤマビザン、4着にメジロブライト、5着にセイリューオーとなりました。上位3頭は若葉Sからやって来た馬たちでした。

サニーブライアンの鞍上は大西直宏騎手。皐月賞は初騎乗で初制覇となり、GI競走どころかサラブレッド重賞の初勝利でした。管理されたのは前述の通り美浦所属の中尾銑治調教師、馬主は宮崎守保氏、生産は北海道浦河町の村下ファームさんでした。この3者もGI初優勝でした。さすがに、この11番人気による皐月賞の勝利には、調教師、オーナー、生産者の皆さんもたまげられたようです(笑)。


サニーブライアンの最優性先祖は曾祖母父ファイナルスコア、形相の対象はBaroness La Fleche(1900)−ファイナルスコアの父Balloch(1939)の直祖母−と判断しました。ファイナルスコアは新国産馬で、現役時代は中央で走り45戦17勝。その主な勝ち鞍には京都記念・春、京都記念・秋、朝日CCがあります。ファイナルスコアの直父系はTracery(1909)を通したRock Sand(1900)系ですから、いわゆる「アメリカン・ダミー」の血なのでしょう。この血を上手く最優性先祖に持ってきました。サニーブライアンのコーナーワークの上手さは、もしかしたら、この血によるものなのかもしれませんね。また、4代血統構成馬の活性値が、それぞれ「0.00、0.50、1.00、1.75」と別数値にあり、知的素質の向上に役立っています。あと、言わずもがなですが、1994年生まれの世代は、その父ブライアンズタイムが8歳時交配の0遺伝の年にあたります。この皐月賞でも1着、2着、5着に入ったのはブライアンズタイム産駒でした。合わせて、3着となったフジヤマビザンは、その父アンバーシャダイが16歳時交配の0遺伝馬でした。


「展開利」という言葉があるように、サニーブライアンの皐月賞勝利は「フロック」として人々に受け止められました。「皐月賞は展開がハマっただけ。ダービーではあんなに上手くいかないよ」と。しかし、7週間後の第64回日本ダービーにおいて、人々は、意外な「現実」を目の当たりにするのでした。それは、次回の講釈で−西遊記風−

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