- 2008-04-05 (土) 18:22
- 雑記
先週末、一番上の妹とその娘が実家に帰省しました。
その折り、私も一緒に過ごしていたのです。しかし、まぁ、姪が泣きじゃくること。妹の姿が見えなくなると、瞬間湯沸かし器のように反応して、ワァワァ泣いていました(笑)
それでも、家で過ごす時間が増えるにつれ、ちょっとずつ慣れて行った、姪。
実家の居間にいる時間が長かった姪。すでに1歳2ヵ月と10日を越え、歩き、そして走ることを覚えた幼児は、居間のテーブルの周りをグルグルと走り回っていました。
居間で元気に過ごす姪は、妹が準備していた「おかあさんといっしょ」や「いないいないばあっ!」のビデオがテレビで流れるとキャッキャ言いながら一緒に踊ったり、食事の際には「しゃもじ」に過剰反応してみたり、納豆や魚を好んで食べたりしていました。
#「おかあさんといっしょ」にて、うたのおにいさんとおねえさんが歌っている楽曲の作詞作曲が「坂田修」になっているのを見た時、「あー、おさむおにいさん、なんだ言いながら、ずっと関わってはるんやなぁ」と思いました。併せて「いないいないばぁ!」にてワンワンを演じられている「チョー」さんの声を聞いて「あー、チョーさん、すごいなぁ。あれ、着ぐるみの中に入ってはるんやんなぁ」とも思いました。懐かしい「たんけんぼくのまち」。
*
そんな姪が、居間のガラス戸が開いて、カーペット敷きの板の間から、フローリングの台所が見えた時。ガラス戸が開く度、その度に、戸の前で立ち止まっていました。
知らないものがたくさん置いてある台所の風景を見た姪は、向こう側へ行きたかったのでしょう。けれど、ガラス戸の下のレール部分と板の間には20cmほどの段差があり、いまの自分の足だけでは、降りられない。
眉の端を下げて、不安そうに段差を見つめる姪を見て、私は言いました。
「琴葉は、向こうに行きたいんやな?」
姪の脇の下を抱えて、段差のところだけ降ろしてやると、嬉しそうに台所を目指して駆けて行きました。けれど、板の間と台所の間にはわずかに段差があり、やっぱりそこも降りられない。
段差を見た後、やはり眉の端を下げた顔で振り返り、私に手を伸ばしてきた姪。手助けがあれば、向こう側に行けることが分かっているのでしょう。その手を取る私。ゆっくりと歩みを進め、足を伸ばして段差を越え、台所に行き着いた姪。手を離すと、フローリングの上を嬉しそうに歩き、そして走りました。
冷蔵庫の扉に張り付いていた3個の磁石を見つけた姪。それらを取っては張り付け、取っては張り付け。そして、手に取ったひとつの磁石を私に渡してくれた時。「ありがとう」と言うと、嬉しそうに笑いながら、自分で手をパチパチさせて、拍手していました。
嬉しそうな姪を見て、ふと、ほおを赤くして、鼻水を垂らした3歳くらいの妹の写真が、オーバーラップしました。喜ぶ姪の顔が、幼い頃の妹によく似ている。目と鼻が、特によく似ている。あぁ、母子とはそういうものなのですね。
*
その後、姪は居間、板の間、台所を、何度も何度も往復しました。降りる時は怖い段差も、昇る時は怖くはない様子。自分の足では昇れない高さの、居間と板の間の段差は、這って昇っていました。また、その段差を繰り返し降ろしてやるうち、「自分でも降りられる」と思ったのでしょう。最後には手を取るだけで、降りられるようになっていました-もっとも、飛び降りるようにしていましたので、しっかりと受け止めなければなりませんでしたが-。
ただ、それでも。
板の間と台所の段差は、居間と板の間ほど高くないのに、降りる前には必ず自分から手助けを求めてきた姪。
「なんでかな?」
と思っていると、カーペット敷きの板の間とフローリングの台所では、足の裏の滑り方がまったく違うことに気付きました。
姪は、いきなり足の滑りやすいフローリングに行くのが怖かったのでしょう。姪は、一度歩き、走ったフローリングを、分かっていたのでした。そして、最初に手助けがあれば、またちゃんと走り回れることを、分かっていたのでした。
*
そのことに気付いた時、私は、泣いていました。
人間というのは、なんと賢い生き物なのでしょう。そして、なんと素晴らしい生き物なのでしょう。
怖い。けれど、見てみたい、やってみたい。自分ひとりではできない。でも、差し伸べてくれる手があれば、できる。
人の手を借りながら自分の世界を広げようとする姪の姿は、ただただ、感動を呼ぶものでした。
*
「発達とは矛盾を乗り越えること」
と、まともに学んでいた時の恩師が、その著書のタイトルとして、掲げていらっしゃいました。姪の行動は「やりたいけれどできない」という矛盾を乗り越えようとする姿そのものでした。これからも、いくつも、そんな「やりたいけれどできない」ことにぶつかっていくのでしょう。けれど、人間は、それを乗り越えて、発達していく。
親になった人々の最大の感動は、子の、乗り越えていく姿を見られるところにあるのかもしれません。
それは、きっと、真に幸せなことです。
*
世のすべての親子に、絶え間なる愛情と祝福があらんことを。
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