中島国治氏関連馬

アバンティー
  • 芦毛
  • 1979.6.15生
  • 新冠・明和牧場生産
  • 馬主・ホースマン
  • 美浦・山岡寿恵次厩舎→山岡浩久厩舎
アバンティーの4代血統表
シルバーシャーク(IRE)
芦毛 1963
種付け時活性値:1.75
Buisson Ardent
栗毛 1953
Relic
青毛 1945
War Relic 1938
Bridal Colors 1931
Rose o'Lynn
鹿毛 1944
▲Pherozshah 1934
Rocklyn 1937
Palsaka
芦毛 1954
Palestine
芦毛 1947
Fair Trial 1932
Una 1930
Masaka
鹿毛 1945
Nearco 1935.1.24
Majideh 1939
バーマニー(FR)
栗毛 1965.4.19
仔受胎時活性値:1.25
<海外1勝>
Prudent
栗毛 1959
種付け時活性値:1.25
My Babu
鹿毛 1945
Djebel 1930
Perfume 1938
Providence
黒鹿毛 1947
Easton 1931
War Kilt 1943
Biobelle(FR)
鹿毛 1960
仔受胎時活性値:1.00
<海外6勝(平地3勝+障害3勝)>
Cernobbio
1953
種付け時活性値:1.50
Prince Bio 1941
Ceruleine 1941
La Beloli(ITY)
鹿毛 1948
仔受胎時活性値:0.75
<海外0勝>
Domenico Ghirlandaio
1935
種付け時活性値:1.00
Alibranda
鹿毛 1941
仔受胎時活性値:1.50
アバンティーの4代血統構成&4代父系の活性値&4代父系の分枝状況
母父 祖母父 曾祖母父
シルバーシャーク
(Relic系)
Prudent
(Djebel系)
Cernobbio
(Prince Bio系)
Domenico Ghirlandaio
(Blandford系)
父の活性値 母父の活性値 祖母父の活性値 曾祖母父の活性値
1.75
(15歳時交配)
1.25
(5歳時交配)
1.50
(6歳時交配)
1.00
(12歳時交配)
父の分枝状況 母父の分枝状況 祖母父の分枝状況 曾祖母父の分枝状況
Matchem〜Man o'War系 Herod〜Tourbillon系 Eclipseの15代孫 Eclipseの14代孫
アバンティーのB&B理論的総括
8代残牡先祖数
(7代残牡先祖数)
4代血統構成
(資質固定指数)
潜在能力値 少ない先祖etc
9/128
(9/64)
D  E  B  F
(0.25)
2.25 Cernobbio
Domenico Ghirlandaio
形相の遺伝 料の遺伝 牝系 何番仔?
シルバーシャーク 4.50 Beringと同牝系
(F7)
7番仔
(2連産目)

※潜在能力は数値が少ないほど大きいことを示しています。

[主な戦績]

1着−大原S(OP)。
2着−目黒記念(GII)、七夕賞(GIII)、新潟大賞典(GIII)。
3着−ステイヤーズS(現GII)。
通算33戦8勝、2着9回、3着7回。

[Notes]

アバンティーのデータを見て、ふと気になるのは「1979.6.15生」という6月の遅生まれであることでしょう。ちょっと、この経緯を探ってみたいと思います。

母バーマニーは、オールドファンには懐かしい「持ち込み馬」トリデジョウ(1973.3.30)の母としても知られています。トリデジョウは、父がBlandford系のVar de loirで、日本短波賞など6勝を挙げた活躍馬でした。バーマニーの日本での繁殖成績を振り返ると、1973年は前記のトリデジョウ、1974年は1勝馬ワカヤマジョウ(1974.5.27)、1975年は産駒なし、1976年は2勝馬リキバーマニー(1976.5.19)、1977年は産駒なしでした。そして、1978年。バーマニーは、4月17日に「Secretariat」の牝駒、後のリキノチハヤ(1978.4.17)を明和牧場で産み落としています。「えっ?セ、セクレタリアト?」と思われた方もいらっしゃるでしょう。でも、リキノチハヤの血統表には、確かに父の欄にSecretariatが記載されています。

これは私の推測ですが、1976年にリキバーマニーを産み落とした後、残念ながら不受胎に終わったバーマニーは、輸出の形で米国に一旦渡り、1977年の5月中旬から下旬にかけてSecretariatを交配され、再輸入の形で日本に帰ってきたのでしょう。そして、1978年4月17日にリキノチハヤを産み落とした後、1978年の7月中旬頃−おそらくは7月15日−、シルバーシャークを交配されました。出産後3ヶ月間のインターバルがあるのは、バーマニーの体力と精神的負担を考慮されたと考えます。そうして、翌1979年6月15日に生まれてきたのが、バーマニーにとって「最後の仔」となるアバンティーでした。

今風に言うなら、米国に「繁殖留学」したかたちです。仏国生まれのバーマニーは、最初仏国で過ごし、6歳で日本にやって来て、11歳で米国に一旦渡り、また日本に帰って来たことになります。めまぐるしい環境の変化が、バーマニーにとって耐え難い負担となってしまったのでしょうか。バーマニーはアバンティーを産んだ後、パーソロンやシルバーシャーク、ノノアルコ、セクレファスターなどを種付されるも、結局1頭も仔どもを残せませんでした……。

でも、競馬の神様は、バーマニーが一生懸命に残した『いのち』を見捨てていません。Secretariatとの仔であるリキノチハヤを通じて、曾孫の代にワイルドバッハ&リトルソルジャー兄妹を輩出しています。2001年は明和牧場の牝系が頑張っています。バーマニー系のリトルソルジャーはもちろん、サンサン系のネイティヴハートとサクセスストレインの春のGI4着コンビもいます。リトルソルジャーとサクセスストレインがクイーンカップで揃い踏みした時、馬連一点勝負をしたのは、何を隠そうこの私です(苦笑)。最後は余談となりましたけれど、リトルソルジャーをはじめとする子孫馬たちが、バーマニーの血を次代に伝えていってくれることを祈ります。

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