シルバーシャーク(IRE) 芦毛 1963 種付け時活性値:1.75 |
Buisson Ardent 栗毛 1953 |
Relic 青毛 1945 |
War Relic 1938 |
Bridal Colors 1931 | |||
Rose o'Lynn 鹿毛 1944 |
▲Pherozshah 1934 | ||
Rocklyn 1937 | |||
Palsaka 芦毛 1954 |
Palestine 芦毛 1947 |
Fair Trial 1932 | |
Una 1930 | |||
Masaka 鹿毛 1945 |
Nearco 1935.1.24 | ||
Majideh 1939 | |||
バーマニー(FR) 栗毛 1965.4.19 仔受胎時活性値:1.25 <海外1勝> |
Prudent 栗毛 1959 種付け時活性値:1.25 |
My Babu 鹿毛 1945 |
Djebel 1930 |
Perfume 1938 | |||
Providence 黒鹿毛 1947 |
Easton 1931 | ||
War Kilt 1943 | |||
Biobelle(FR) 鹿毛 1960 仔受胎時活性値:1.00 <海外6勝(平地3勝+障害3勝)> |
Cernobbio 1953 種付け時活性値:1.50 |
Prince Bio 1941 | |
Ceruleine 1941 | |||
La Beloli(ITY) 鹿毛 1948 仔受胎時活性値:0.75 <海外0勝> |
Domenico Ghirlandaio 1935 種付け時活性値:1.00 |
||
Alibranda 鹿毛 1941 仔受胎時活性値:1.50 |
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
---|---|---|---|
シルバーシャーク (Relic系) |
Prudent (Djebel系) |
Cernobbio (Prince Bio系) |
Domenico Ghirlandaio (Blandford系) |
父の活性値 | 母父の活性値 | 祖母父の活性値 | 曾祖母父の活性値 |
1.75 (15歳時交配) |
1.25 (5歳時交配) |
1.50 (6歳時交配) |
1.00 (12歳時交配) |
父の分枝状況 | 母父の分枝状況 | 祖母父の分枝状況 | 曾祖母父の分枝状況 |
Matchem〜Man o'War系 | Herod〜Tourbillon系 | Eclipseの15代孫 | Eclipseの14代孫 |
8代残牡先祖数 (7代残牡先祖数) |
4代血統構成 (資質固定指数) |
潜在能力値 | 少ない先祖etc |
---|---|---|---|
9/128 (9/64) |
D E B F (0.25) |
2.25 | Cernobbio Domenico Ghirlandaio |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 何番仔? |
シルバーシャーク | 4.50 | Beringと同牝系 (F7) |
7番仔 (2連産目) |
※潜在能力は数値が少ないほど大きいことを示しています。
1着−大原S(OP)。
2着−目黒記念(GII)、七夕賞(GIII)、新潟大賞典(GIII)。
3着−ステイヤーズS(現GII)。
通算33戦8勝、2着9回、3着7回。
アバンティーのデータを見て、ふと気になるのは「1979.6.15生」という6月の遅生まれであることでしょう。ちょっと、この経緯を探ってみたいと思います。
母バーマニーは、オールドファンには懐かしい「持ち込み馬」トリデジョウ(1973.3.30)の母としても知られています。トリデジョウは、父がBlandford系のVar de loirで、日本短波賞など6勝を挙げた活躍馬でした。バーマニーの日本での繁殖成績を振り返ると、1973年は前記のトリデジョウ、1974年は1勝馬ワカヤマジョウ(1974.5.27)、1975年は産駒なし、1976年は2勝馬リキバーマニー(1976.5.19)、1977年は産駒なしでした。そして、1978年。バーマニーは、4月17日に「Secretariat」の牝駒、後のリキノチハヤ(1978.4.17)を明和牧場で産み落としています。「えっ?セ、セクレタリアト?」と思われた方もいらっしゃるでしょう。でも、リキノチハヤの血統表には、確かに父の欄にSecretariatが記載されています。
これは私の推測ですが、1976年にリキバーマニーを産み落とした後、残念ながら不受胎に終わったバーマニーは、輸出の形で米国に一旦渡り、1977年の5月中旬から下旬にかけてSecretariatを交配され、再輸入の形で日本に帰ってきたのでしょう。そして、1978年4月17日にリキノチハヤを産み落とした後、1978年の7月中旬頃−おそらくは7月15日−、シルバーシャークを交配されました。出産後3ヶ月間のインターバルがあるのは、バーマニーの体力と精神的負担を考慮されたと考えます。そうして、翌1979年6月15日に生まれてきたのが、バーマニーにとって「最後の仔」となるアバンティーでした。
今風に言うなら、米国に「繁殖留学」したかたちです。仏国生まれのバーマニーは、最初仏国で過ごし、6歳で日本にやって来て、11歳で米国に一旦渡り、また日本に帰って来たことになります。めまぐるしい環境の変化が、バーマニーにとって耐え難い負担となってしまったのでしょうか。バーマニーはアバンティーを産んだ後、パーソロンやシルバーシャーク、ノノアルコ、セクレファスターなどを種付されるも、結局1頭も仔どもを残せませんでした……。
でも、競馬の神様は、バーマニーが一生懸命に残した『いのち』を見捨てていません。Secretariatとの仔であるリキノチハヤを通じて、曾孫の代にワイルドバッハ&リトルソルジャー兄妹を輩出しています。2001年は明和牧場の牝系が頑張っています。バーマニー系のリトルソルジャーはもちろん、サンサン系のネイティヴハートとサクセスストレインの春のGI4着コンビもいます。リトルソルジャーとサクセスストレインがクイーンカップで揃い踏みした時、馬連一点勝負をしたのは、何を隠そうこの私です(苦笑)。最後は余談となりましたけれど、リトルソルジャーをはじめとする子孫馬たちが、バーマニーの血を次代に伝えていってくれることを祈ります。